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GOAT FCへの想い_SOCIO:石山邦彰

■筆者自己紹介


皆さん、こんにちは。

GOAT FC SOCIOの石山邦彰と申します。

1980年東京生まれの、しがない会社員です。現在は台湾在住です。

GOATさんの戦術分析に惹かれ、気づけばGOAT FCの“挑戦する姿”に強く共感していました。チームと共に歩む一人のSOCIOとして、拙い文章ではございますが、その思いを綴っていきたいと思います。僭越ながら、GOAT FC観戦記を書かせていただきましたので、どうか皆様にお読みいただけますと幸いです。


〈趣味〉

旅行。サッカー観戦(TV・スタジアム両方)。

好きなサッカーチームのグッズを買う。御朱印集め。

ワインを飲む(イタリアのアマローネ)。

本を買う(ただし全部読むとは限らない)。

漫画を読む(買えば全部読む)。

腕時計(高級時計は持っていない)。

GOAT Football Tactics。GOAT FC。


私にこのような機会をくださったGOATさん、執筆中に励ましのお言葉をかけてくださったhikaluキャプテンに、この場を借りて心よりお礼を申し上げます。これからも、仲間のひとりとして、GOAT FCの挑戦を見つめ、共に歩んでいきたいと思います。



2025年10月26日、日曜日。

昼下がりに、私は目覚めた。

早いもので、今年も残すところあと2か月。GOAT FCの今シーズン公式戦も、この日を含め残り2試合となっていた。シーズンが終わりに近づくと、やはり少し寂しい。


10月とはいえ、台湾はまだ暑い。しかも毎日のように小雨が降り、湿気が体にまとわりつく。ガンガンにエアコンをかけ、居間のソファに座り、キンキンに冷やしておいた特保コーラを飲む。冷たくて美味しい。私は特保コーラが大好きだ。


試合は夜のはずだ。

GOAT LABアプリで、念のため開始時間を確認する。日本時間19時、台湾時間18時キックオフ。まだまだ時間はある。太陽は分厚い雲に覆われて目にすることはできないが、それでもまだずいぶんと高い位置にある。


寝起きの渇いた身体に、特保コーラが染み込んでいく。ソファに深々と沈み込みながら、私は窓の外を眺めた。


思えば、この1年も色々なことがあった。仕事に家族に、問題は絶えない。しかし、やはりあっという間の1年だった。歳をとればとるほど1年がどんどん短くなる、というのは間違いのない事実だ。去年、私の2024年はあっという間に2025年になったし、今年も2025年はあっという間に2026年になろうとしている。こんなにも速く流れる時間の中で、この世界における自分の存在位置や、来し方行く末を正確に把握することはとても難しい。私には到底不可能だろう。


日常、すなわち私が生まれてから45年間かけて選び取ってきた世界に、私は大きな不満を持っているわけではない。小さいかもしれないが、いくつかの幸せや、楽しみもある。ただ、「全くもって不安がない」と言えば噓になるし「迷いもない」と言えば、それもまた嘘だ。


こういうことを考えること自体、少し疲れているのかもしれない。この1年を、一度振り返る時期が来ているのだろう。自分自身のためにも、この慌ただしく、良くも悪くも変化に満ちた1年を、時間をかけて見つめ返さなければならないのだ。


私は特保コーラを飲み終えると、瞼を閉じ、一年前の情景を思い浮かべた。GOAT FCの試合を観るようになってから、私は自分でも驚くほど、チームの一挙手一投足に心を動かされるようになっていた。その理由を考えると、どうしても一年前、あの日の朝霞の光景に行き着くのだ。



2024年10月、私はまだ東京にいた。しかし、その1か月後には、台湾へ渡航することが決まっていた。日本から出て行ってしまえば、自由気ままに東京に帰ってくることはできない。そう考えると、日本にいるうちにやっておかねばらならないことがいくつかあった。私はそれらをノートに書き出した。そのうちのひとつ、〈GOAT FC現地観戦〉。その文字をリストの上位に書きこんだ。


週末、カナリアリーグの試合が行われる朝霞中央公園陸上競技場へ私は向かった。

新宿から山手線で池袋へ。東武東上線に乗り換え朝霞駅で下車し、Google Mapを見ながら競技場まで歩く。余裕を見ていたはずが、到着は試合開始時間ギリギリだった。私は焦りながら競技場内に進入した。だが、幸いなことに前の試合が押していたようで、GOAT FCの試合はまだ始まってはいなかった。私は少し安堵したのだが、それでも挙動不審にキョロキョロしながら、陸上トラックの周りを歩いた。GOAT FCを探さねばならないからだ。


どこだ、GOAT FCの選手たちはどこにいるのだ?VEOってどこにあるの?高鳴る胸を高鳴らせたまま、私はとりあえずスタンドの観客席の座席を陣取るべく、競技場内を歩いていった。


すると、観客席へ続く階段を上ろうとしたところで、かねてよりYouTubeで見慣れた面々が視界に入ってきた。白と黒のユニフォームに身を包んだGOAT FCの選手たちが、そこにはいたのだ。いるのは知っていたが、「やっぱり本当にいたんだな」とあらためて思い、私の胸の鼓動は一層速くなった。


だからといって、せっかく遠くから来たのだから、人見知りをするわけにはいかない。ましてや選手は私よりだいぶ若い。Tomoya選手にいたっては、私より25歳若い。人との交流がそれほど得意ではない私だが、若者相手に遠慮して声がかけられない、などというのは、先輩後輩、上司と部下、年功序列の厳しい縦社会で育った昭和生まれの中年オヤジとして、あってはならない立ち居振舞だ。私はそう自分に言い聞かせ、階段を上る選手たちの列の最後尾にいる人物に、勇気を出して声をかけた。


「こんにちは、SOCIOの石山と申します。応援に来ました」


私が声をかけさせていただいたのは、Nori選手。その日は足を負傷中であり、ユニフォームを着てはいなかったが、裏方としてチーム運営を支えるためにベンチ入りしていたのだ。


ちなみにだが、私はその時点でGOAT FCの試合を追いかけ始めてから一年以上が経過していた。その間、GOAT FCのHPは整備され、選手の紹介ページも出来上がっていた。そのおかげで、私はほぼ全ての選手の名前と顔を一致させることができるようになっていた。


私が試合ライブや練習のチャットやコメント欄にちょくちょくメッセージを書き込んでいたからだろう、Nori選手はありがたいことに私の名前を認識してくれており、すぐに及川コーチのもとに行き、私が来たことを伝えてくれた。

すると、なんと及川コーチも私のことを認識してくれていたようで、チームがベンチを確保しているエリアに、暖かく迎え入れてくれた。そして、わざわざGOATさんにもLINEで一報入れてくれたのだ。選手のみなさんはじめ、みすたーさんや、スタッフの方ともひとしきりのご挨拶をさせていただいた後で、私は椅子に腰をおろした。


私の周りに、あのGOAT FCの選手たちがぐるりと座っている。Hikaluキャプテン 、Shige選手、Shinya選手 、Tatsuo選手といった古株メンバーに加え、当時まだ加入してそれほど時間がたっていなかったYuta選手 ,Tomoya選手 、そして、その日から約半年後、私と新宿のカラオケボックスでエレファントカシマシの「今宵の月のように」をデュエットで熱唱することになるItto選手も、そこにはいた。(試合直前の時間帯にも関わらず、歓迎していただき、本当にありがとうございました。)


左からNori選手、及川コーチ、Shige選手、Itto選手
左からNori選手、及川コーチ、Shige選手、Itto選手

朝霞中央公園陸上競技場は、カナリアリーグでは珍しく、芝のピッチだ。秋の晴天に、芝のピッチはよく映える。土グラウンドでの試合が多いだけに、余計に芝が綺麗に見えた。


時間になり、選手たちはピッチに入っていった。

試合前の撮影、相手選手及び審判との挨拶が終わり、選手は円陣を組むため、自陣中央に集まる。円陣を組むblanco(白) negro(黒)のユニフォームをまとったGOAT FCの選手たちを見て、私の中にはサッカーというスポーツの素晴らしさを讃える気持ちと、またそれに対する感謝の念が込み上げてきていた。


サッカーは素晴らしい。サッカーは素晴らしいのだ。

サッカーが、私をこの場へと導いてくれた。この時、この場に居合わせ、彼らの試合を見届けることができる。そのことへの感謝の念が私の胸に広がっていき、私は自分の目頭が熱くなっていくのを感じていた。


稀代のサッカー戦術家が描いた「世界一戦術的なサッカーチームをつくる」という夢。そしてその夢への飽くなき挑戦。そこに、同じ志を持った仲間たちが集まり、GOAT FCが生まれた。


監督、コーチ、チームスタッフ、SOCIO。平成生まれの若者もいれば、昭和生まれの中年だっている。スクールには、令和生まれの子どもたちも入ってくることだろう。世代を超え、同じ場所に、同じサッカーへの夢と志をもち、挑戦の決意をもって集まった仲間たち。それがGOAT FCなのだ。


目の前で、彼らのサッカーが始まろうとしている。

いや、「彼らのサッカー」ではない。彼らのサッカーは私のサッカーであり、私のサッカーは彼らのサッカーなのだ。つまり、これはほかならぬ「私たちのサッカー」なのだ。私たちのサッカー。私たちの夢と挑戦のサッカーが、今目の前で始まろうとしているのだ。


そして、私も今こうして仲間とともに夢に挑戦する舞台に、共に立っている。

そうだ、これこそが、私がこうしてピッチを訪れた本当の意味であり、本当の理由なのだ。ありがとう、サッカー。ありがとう、GOAT FC。


チームは円陣を解き、ポジションに散った。


気づくと、私は自分の想いを自然と言葉にして口から出していて、その声が自分の耳から聴こえてきた。


「がんばれ、GOAT FC」


秋晴れの空の下、キックオフの笛がピッチに響いた。


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私は、サッカーの現地観戦が好きだ。

学生時代、実家の近くに東京スタジアム(現:味の素スタジアム、通称は「味スタ」)ができたこともあり、私は好きだった東京ヴェルディの試合を観に行くようになった。しかし、就職してからは東京を離れる時期が長かったこともあり、数年に一度友人と観戦に行くかどうか、という状況が続いていた。


2023年春、私は転勤で18年ぶりに故郷に舞い戻ってきた。単身だったこともあり、週末は手持無沙汰だったので、ヴェルディのホームゲームを観るため味スタに足を運ぶようになった。ヴェルディは、その年、J2生活15年目を迎えていた。シーズン終了時、ついに念願の昇格を果たすこととなったのだが、鳴かず飛ばずの結果が続いた春先と、J1昇格が見えてきた秋から冬とでは、サポーターの数がまるで違っており驚かされた。昇格決定戦は清水エスパルスと国立競技場で行われたのだが、国立の応援席の大部分が緑のサポーターで埋め尽くされ、圧巻の光景であったのを覚えている。


私にとってスタジアム観戦が好きな一番の理由は「全体が見えるから」だ。スタジアムの雰囲気を味わえる、Verdy VENUS(ヴェルディのチアダンスチーム)を観ることができる、スタジアム飯、グッズ販売などスタジアム観戦ならではの楽しみは勿論あるのだが、それらは副次的要素に過ぎず、やはり敵味方全体を俯瞰することができるという特別な体験こそが、私にとっては一番楽しい。なので、私はスタジアムでは必ずメインスタンド後方の席に座ることにしている。


スタジアムでは、ボールと逆サイドの選手、味方のフィニッシュ局面でのDFラインの高さや枚数、GKのポジショニングなど、テレビ画面には映らないところにいる選手たちの動きを一望できる。現れては消える泡のようなスペースを、チームがどのように理解し、活用しようとしているのか。それらを観ているのが楽しいのだ。テレビ画面に映る部分だけを観ていては、本当にサッカーを楽しむことはできない、とすら思っている。


だいぶ昔のことになるが、2002年日韓W杯が行われたとき、私の知人が現地観戦をした。その人物はサッカーなどずぶの素人で、それまでサッカー生観戦の経験など皆無なのだが、羨ましいことに日本代表を含め、いくつかの試合のチケットを手に入れていた。そして、彼は最終的に決勝戦も観に行ったのだ。大五郎カットの怪物ロナウドを擁するブラジル代表VSチームメイトから「戦争の次に怖い」と言われたGKオリバー・カーン率いるドイツ代表。その二人以外にも、決勝戦のピッチには、欧州の有名チームでプレーするスターたちがひしめきあっていた。さぞかし心が踊ったであろう。。。でも、どうせ素人だからよくわからないんだろうなぁ。。。羨望の裏にある妬みと僻みを悟られぬよう、私はさりげなく「現地観戦どうだった?面白かった?」と感想を聞いてみたのだが、彼から返ってきたのは意外な答えだった。


ーブラジル代表はすごかったー

ここまではいい。これは普通の素人の感想だ。問題は、次に続く内容だった。


ー1人が動くと、チーム全員が連動して動くのがすごい。ボールに関係のないところにいる選手も、先の先のことを読んで動いているようだった。そして最終的に、最初は関係ないと思われていた選手のところにボールが来る。チーム全体が、一人一人が、まるでそこにボールが行くことがわかっていたかのようで、あたかもチーム全体が一つの生き物のようだったー


私は驚かされた。彼が語ったのは、目を奪われるような華麗なフェイントや、魔法のようなキックについてではなく、チームの機能美についてだったのだ。そもそも、彼はサッカーに興味などない。偶然コネでチケットを手に入れ、観に行ったにすぎない。人間としての私の小さいところをさらけ出してしまうことになるが、はっきり言うと、私は心の中で「この人物にW杯のチケットなど、猫に小判、豚に真珠。感想など聞いたところでどうせたいしたこと言うわけない。なんでこんなやつだけチケットを持っていて、私はもっていないのだ」と思っていた。要するに、私は彼の恵まれた境遇に嫉妬し、僻んでいたわけなのだが、彼の感想は以下の驚きとともに私の中からマイナスの感情を霧消させた。


そうか、ブラジル代表の試合は、ずぶの素人にすらサッカーのスペクタクルを知覚させ、認識させるのか........。


彼がサッカー未経験者であるがゆえに、キックや足元の技術には目がいかず、チームとしての機能美に目がいったという側面もあるだろう。だが、テレビ観戦ではできない、ピッチ全体を俯瞰するという経験の積み重ねの上に、人間が本能的に有する機能美への欲求を、究極のそれを魅せつけたブラジル代表が刺激したことで、彼は前述の感想を言うに至ったのではないかーー。私はそう推論した。


ふと、我を振り返った。私は、そんなサッカーを生で観たことがなかった。ヴェルディは、そこまでのサッカーを観せてくれたことはない。機能美によって観る者を魅了し、エクスタシーに導くようなサッカーを、私は生まれてこの方、生で観たことがなかった。そう思うと、彼に対して嫉妬の念が再び甦った。甦るどころか、より一層強くなって、私の中に広がっていったのだった。興奮気味に感想を語る彼に、私は仏頂面で「ふうん、よかったねぇ」とだけ言った。やはり私は若いころから人間が傲慢で、かつ小さかったようだ。



2024年10月某日、朝霞中央公園陸上競技場でGOAT FCが体現しようとしているサッカー、私が観ているサッカーは、まさに戦術という機能美を追求するサッカーだ。


機能美は観ている人間を魅了する。当時GOAT FCは、振り子のサイドチェンジや、渦の動きへの取り組みを強化している時期だった。どうやって最終ラインビルドを行い、ポゼッションし、フィニッシュにつなげていくか。渦の動きによるスペースメイクとスペースイン、つながるボール。観ている側もプレーしている選手たちも、快感に酔いしれることができるサッカーを目指す。しかも、それには再現性が伴わなければならない。


勿論、簡単ではない。簡単にできるようなら、すべてのプロチームがとっくにそういうサッカーを実現していることだろう。前述したように、これは「夢への挑戦を決意したチーム」のサッカーなのだ。夢を追いかけることには痛みを伴う。今いる場所、今いる安住の地と決別し、一歩前へと踏み出さなければならないからだ。一歩踏み出せば、そこは見知らぬ場所、それまでの自分が通用しない場所だ。


GOAT FCは、私の視線の先で必死に戦いを続けていた。相手のプレスは激しい。オールコートマンツーマン。このカテゴリーにおいては主審ごとのレベル差も大きく、ジャッジの基準は外野の声に惑わされ、安定しない。一進一退の攻防が続く中、選手たちは戦術を体現すべく、身体を張り、声を出し続けていた。こういうことを簡単に言うと、安っぽく聞こえるかもしれないが、試合中、彼らが挑戦し、戦う姿に、私は自分自身を投影していた。


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思えば、2023年に東京に帰ってきたわけだが、それまでの社会人生活、とくに2008年ごろから2023年に至るまでの15年間は、私にとって暗い時代だった。この場を借りて、私の社会人、サラリーマン、家庭人としての苦労話を箇条書きで書き連ねるような真似はよそう。そんなつまらない話には需要がないし、愚痴っぽい昔話は、場末の居酒屋で仲間内でしていればよい。ただ、人間関係、仕事、プライベートと、なにかとうまくいかない日々が長く続いていたことは事実だ。恥ずかしい話だが、嫌なことがあれば酒を飲んで紛らわせるしかないので、酒量だけが増えていった。あのままいけば、単なるアル中親父が一人出来上がっていただろう。迷惑な話だ。


ただ、そんな日々の中で、目に入ってきたニュースがあった。GOAT FCの発足だ。


GOAT Football Tacticsは、2022年頃から観るようになっていた。ほかのサッカー戦術チャンネルとは明らかに一線を画す内容。「戦術とは対策の対策」という定義づけのもと、展開されるサッカー戦術分析。私はチャンネルの虜になった。GOAT氏の戦術分析は、サッカーを超えていた。私の知的興奮はとまらず、どっぷりとはまり込み、寝る時も過去の動画をつけっぱなしで、子守歌代わりにして寝たりしていた。GOAT氏によって語られる論理や理論が心地よかったのだ。なぜ心地よいのか。雑念を排し本質が言語化されるから心地よいのだ。この嘘やフィクションに満ち溢れた社会で、騙し、騙されることに疲れきっていた私にとって、それは自分をこの世界につなぎ留めてくれる心の支えとなっていった。


そんなGOAT氏が、サッカーチームを作るという。しかも、「世界一戦術的なサッカーチーム」を目指す。それは、とてつもない挑戦だ。チームの紹介動画の中で、GOAT氏自身によっても語られているが、それは「途方もなく、実現不可能な夢」のようにも思える。だが、そこに情熱と論理によって裏打ちされた「戦術」をもって挑むという。


かつて、私が私を取り巻く諸問題と対峙したとき、そこに戦術はあっただろうか。そこに無駄な感情や雑念を排し、真実と向き合ったり、本質と向き合う覚悟はあったのだろうか。残念だが、はっきりと「なかった」と断言せざるをえない。そして、難しいこと、今の自分にできないことに挑戦する覚悟もなかった。当たり前だ。戦術なくして、挑戦などできっこない。「覚悟なくして戦術なし、戦術なくして覚悟なし」だ。できるのは、心地の良い安住の地に居座り続ける理由を探し、自分を納得させようとすることだけだ。今思えば、そんな人間の仕事やプライベートがうまくいくはずはない。


ただ、私の場合は挑戦とはいっても、何か壮大な夢や人生を賭けたプロジェクトのことではない。仕事や家庭、プライベートの中で、少し難しいと感じたことから逃げずに向き合うこと。それが、私にとっての“挑戦”だ。小さな難題から逃げない。その意思を持てる自分でありたい。そう強く思う自分と、GOAT FC発足のニュースがリンクした。何か運命的なものを感じ、私はYouTubeメンバーシップを開き、SOCIOに入会したのだった。



試合終了の笛。


結果は1-2の惜敗に終わった。非常に惜しい試合だった。内容的には勝っていたと思う。内容が勝敗を分ける基準になるのであれば、あの日の勝利はGOAT FCだった。ただ、サッカーというスポーツは、世界中の子供も大人も楽しむゲームであり、「一定のわかりやすいルール」によってその勝敗を決めねばならない。その「一定のわかりやすいルール」とは、パスを何本つないだかとか、華麗なドリブルで相手を何人置き去りにしたかとかではなく、「ボールを相手ゴールに何回入れたか」だ。この無慈悲なルールは、スペクタクルなサッカーを標ぼうするチームの前に、常にジレンマとなって立ちはだかる。だが、だからこそサッカーは面白い、とも言えるのだが........。


選手たちが、観客席のベンチに引き上げてくる。みんな無言だ。表情に悔しさを滲ませている。だが、下を向いている選手はいない。堂々と戦ったのだ。堂々と前を向き、悔しさを表現するのが筋というものだ。


しばらくして、疲れているはずのShige選手が、わざわざ私のところに歩み寄ってきて声をかけてくれた。律儀で責任感の強い彼は、勝てなくて申し訳なく思っていると、私に思いを吐露してくれた。私は観戦させていただいたお礼を短く述べた。謝っていただく必要など、まったくないのだ。この日、GOAT FCは私にあらためて挑戦することの価値を認識させてくれた。私は感謝こそすれ、選手たちに謝っていただこうなどと、微塵も思わない。だって、私だって一緒に戦っていたのだから。ピッチで走り、削られ、それでも戦術を体現しようと考え、もがきながらプレーしていたのは、選手であり、同時にこの私なのだから。私がピッチで観ていたのは、ほかならぬ自分自身の姿なのだから。


満足していた。現地観戦してよかった。恥ずかしがらず、声をかけてよかった。そう、あのとき階段を登っていくNori選手に声をかけたのもまた、人見知りな自分にとっては、ひとつの小さな挑戦だったはずだ。そしてあの日、私は彼らと一緒にピッチに立つ自分の姿を、確かに見た。



瞼をあけ、窓の外に目をやると、曇り空の中、台北松山空港に向かって降りていく飛行機が見えた。私の部屋にまで伝わるエンジンの低い唸りが、湿った空気を震わせる。この街の騒音にも、いつの間にか慣れた。


台湾が高温多湿で嫌だとか、疲れているとか、特保コーラがどうだとか、うだうだ言っている場合ではない。私には私のやるべきことがある。守るべき人がいる。切り開くべき未来がある。挑戦は怖い。挑戦しても、打ちのめされるかもしれない。でも、戦術のある挑戦は楽しい。やりがいがあるじゃないか。


よし、夜のGOAT FCの試合に備えなくては。夜は、キンキンに冷えた台湾烏龍茶を飲みながら観戦しなければならない。私はソファから立ち上がり、いそいそとコンビニに向かった。




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